目指すところは、いい塩梅

40代からの心地いい暮らしを見つけたい

続・家族でお金のことを考える

昨日の記事の、家族でお金を考えるというなかで

親とのコミュニケーションを少しずつでも

取っていこうと決めましたので

早速、実家に行ってきました。

 

相変わらず、父の認識としては

娘は無料の家政婦なんだなとしみじみと実感して帰って来たところです。

 

本を読んだ段階では

連絡もしてこないような子どもは

親のお金のことなどについて知る権利のない子どもであるということに

そうかもしれないなと納得したように思ったはずでした。

 

でも、今日父と話をしていて

父と私の関係においては、ある意味的を得ているかもしれないのだけれど

私と私の子どもとの関係において

私はそんなことを思うのだろうかという

疑問がわいてきました。

 

上の子はこの春から就職するし

下の子も家から出て大学に通っています。

 

上の子に関して言えば

マメに連絡してくるタイプではないし

年に二度ほど帰省してくるくらいです。

 

だからと言って、言いたくないと思うかな。

 

私が連絡がなくて思うのは

それぞれの生活もあるし、忙しいんだろうな。

「便りがないのは、いい便り」って言うし

元気にしてるってことかな。

くらいのことで、連絡してこないから

信用しないってこととはちょっと違うかなと思います。

 

ボーナスが出たら、一緒に旅行に行こうな。

旅費は出してあげるから、って言ってくれたりして。

もう、私としてはそう言ってくれるだけで

いい子だなって思っているところだし。

 

今回、自分が親であるという認識があれば

子どもたちが困らないように・・・と

思うものが親として当たり前と思っていたんだなと

気づきました。

 

だから、私が父のところにさして行かないという

選択をしていても関係ないと私は思っていたのでしょう。

 

これは、受け取る側の意識も関係してくることなので

父が顔も見せないような子どもは、信用ならんと

思って入れば、私は父からしてみれば

信用なら無い子ということになりますね。

 

以前聞いた話しですが

母親が、実の娘に

「あなたは、私たちの老後の世話をして

 見送ったら、一人でホームにでも入ればいいのよ。」

と言ったというの話がありました。

 

この話を聞いた時

子どもは親にとってある意味、道具でしかないのだろうか?

という印象を受けました。

 

結局、親である側が、育ててやったんだ!

という意識のもとに

子どもに過度に期待しすぎてるんじゃないんでしょうかね。

 

子供世代も親世代も

それぞれに過度に期待しすぎず

だからと言って、それが信用しないということではなくて

お互いの生活を尊重しつつ

程よい関係を見つける方法を探していきたいものです。

 

それではまた。