目指すところは、いい塩梅

40代からの心地いい暮らしを見つけたい

何を残すのかではなく、何を残さないのか

「布袋さんをどうしようかと思よんじゃ」

 

最近の父の会話は、これから始まります。

 

私の実家には1メートル以上ある

布袋様の灯篭があります。

 

父が昔、灯篭を彫る仕事をしていたから

その作品うちの一つです。

 

父としては、私か姉のところへ

持って来ておきたい様子。

 

残したい父の思い

自分が作ったものだから残したいという事でしょう。

(それは、わからなくもありません。)

 

そして、本人としては

残してやるという気持ちが強いんですよね。

自分が残したいという気持ちがあることは認めず

お前たちの為に残してやるのだというのです。

 

次に、どうするにしても

本人は経済的な負担の軽いものにしたい。

年金生活ですから、そう思うのもわかります。)

 

では、どうすれば残せるのだろうかと考えた結果

子どものところへ持って行くという

一番簡単な方法を思いついたんでしょう。

 

近くには住んでいるので

移動は最小限で済みますし。

 

「お前たちに残してやる」ということですから

移動費は、こちら持ちで経費も掛かりません。

(私たちにもそんな経済的余裕はないんですけどね。)

 

本人としては、これが一番の解決法で

安心であるというとですね。

 

そのモノを残される私としては・・・

今の世の中

私たちだってずっと同じ所にいるとは限りません。

 

そして、それを託された私たちが今度

それをどうするか悩まなくてはならなくなります。

 

その灯篭が布袋様であるがゆえに

処分という訳にもいきませんし。

 

では、それを私たちの子どもに残すのかと考えると

私は絶対したくありません。 

 

自分で決められないから

もしくは、自分で処分することができないから

結論を出すことを

子どもに押し付けるだけのような気がするから。

 

モノの処分は自分で考えられるうちに・・・

そんなことを考えるうちに

自分が大切だと思うものほど

自分がまだしっかり考えられるうちに

どうするのかを考えておく必要があると感じています。

 

家の片付けもそうだと思いますが

いつでも出来ると思っていても

歳を重ねると時間はあっても体力がね・・という

ことになるようですし。

 

そうだな。

私の理想としては

私がいなくなった後

残された人たちが

私の残したモノで困らない。

 

そう、困るようなモノは残さない。

そんな身軽な自分でいたいなと思います。

 

自分のこだわりっていうのはあっていいんだけど

モノに対する執着は

手放していきたいところですね。

 

それではまた。